リブ庫

キャリアカウンセリングとか模索するliveco高安千穂の近況報告

稲毛神社にも行ったっけ

引き続き、神奈川県コミュニティカレッジの「発達障がい児地域支援コーディネーター養成講座」に通っている。

先日は、丸山恭子先生によるスーパービジョンであったけれど、そこで3時間の講座内にぶっ通しで起きていたことは「スーパービジョンとは、なんだと思う?」をただひたすらに問われ続ける私たち、だった。逐語録、というキーワードが出てきて、先生がそこでなさっているのは確かに逐語録のように、私たちを丸裸にして、バラバラに解体してゆき、そしてまた私たちが職業倫理を果たすための自分たちをみんなで丸ごと再構築してゆくような、遠慮なんて言っている場合ではない、そんな一種厳しいプロフェッショナリティに裏付けられた場だった。

感想を言いたい、というリクエストをそれはごめんと一刀両断になさった場面があった。みんな、伝えたいことは山ほどあるよ。でもそれは今じゃない。私たちのmost interestはなに?子どもたちの福祉、子供達の命、だよね。
そう言ったやりとりが、私たちを強く揺さぶったと思う。私たちが職務を果たせるようになるために、自らを高めることに集中する、自らを高めることにもっともっと集中する、それは、私たちが体験してきたあの無残な失敗を繰り返さないように。そう言った、職業を背負ってきた先輩方の強い指針と覚悟を見た思いだった。


発達障害の勉強会をやりたい、やる。と決まってから、他の作業に押されてまだ取りかかれないでいたけれど、この日を待っていたのかもしれない。スーパービジョンなんてできないけれど、私が自ら解体するのを、みんながそこにいて何かを感じてくれたらいいのかもしれない。みんなが解体して、そして再構築してゆく。新しいvisionを見る私になるための特殊な空間。そういうのが、スーパービジョンなのかと、思いました(って言ったら丸山先生からはなんと返ってくるのだろう。私は今日はたくさん実験体にしていただけてとてもラッキーだった

そんな午前中とは打って変わって、午後は、決算や税務申告について学んできた。毎月通った裁判所の近くだ。営みを計上して税を収めるための仕組みというのは、改めてまあよくできている。そして営みの傍、お給料を払うというのは、本当に大変なことだなあ、とも改めて思う。今はまだ、経営者が従業員に給料を払うというのは、とても大事に思わなければ、できないことのように思えた。社長に守られて、ひとは、思った以上に、自分と社会を結びつけ生きてゆくことができる。

 

会社と社会を巡るこの仕組みや、会社と人をむすぶこの結びつきに比べて、家庭というのは、いかがなものだろうか。歩き慣れた帰り道に、ふとそんな疑問が心に落ちた。結婚という契約一つ、その後の保証などあったものではない。会社を通じて社会と繋がる安心感と比べて、家庭のもたらしてくれるものとは、一体なんなのだろう。家族とは。

 

私には、答えは、なかった。家族という契約が、会社と個人との契約以上に個人に安心をもたらしてくれるものが、わからなかった。

 

でも私には、家族と言われるものではないけれど、強いパイプで繋がれた、とても信頼できるつながりが、無数にあるのだと、すぐさま思い浮かんできた。無数の友達や仲間、それからそこにひもづく頼もしい感情が、すぐにありありと浮かんでくる。一つ一つ、小さな営みを通して重ねてきた思いだから、簡単に崩れるとは、私には思えなかった。家族なんかより、よほど頼もしく、愛おしい仲間たちが、社会にはたくさん私と支え合ってくれている。嬉しかった。丸山先生の顔が浮かぶ。あの高潔で純粋な職業倫理を分かち合えたなら、きっとどんな時でも、先生や、同じものを分かち合った仲間たちと、瞬時に繋がれる気がした。そうだ、そういうものが私にはたくさんある。

 

それはもはや、一種の家族なのかもしれない、と思う。そんなことをつらつら、川崎の帰り道。

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