リブ庫

キャリアカウンセリングとか模索するliveco高安千穂の近況報告

2014年7月14日の日記

 

『今日は聖子さんちに行ってきた。
聖子さんちに行く前、無性に涙が出てしかたなかった。

本当に、聖子さんとの出会いから、いろんなことが始まった。史子さんとの出会いやチョーノさんとの出会いや、梶川さんとの出会いや、いろんなことはあったけれど、私にとっての決定打は、聖子さんとの深い共感と痛みと、だからこその光明、だったのだと思う。

私は、苦しいんだと。あの時のことにまだ縛られていて、恨んでいるんだと。まだ許せていないんだと。そういう、くらい闇の中にいたり、まだそこから出てこようと思えていない自分を認識できたり、誰かと共有していいんだと思えたのは聖子さんのおかげだ。聖子さんは、私と同じ怒りや苦しみを持っていて、かつそれを克服しようとしてきた近しい精神やスキルがあって、そして共有し合える何か共通の言葉がいくつかあったからなのかなと思う。


そんな私と、聖子さんは一緒に遊んでくれた。初めて、仕事以外の場で何かをやるということが、聖子さんのおかげで、叶った。しかも大友さんの司る場で。(千住フライングオーケストラ へんてこ縁日)大友さんと同じフィールドで生きられた。何をどうしていいかわからなくて、とてもドキドキした。でもできた。

 

その帰り道だったかなと思う。


私は何もできないんだと思う。
いつもそう言う声が聞こえているんだ。
という、私がいよいよ、結構久しぶりに吐き出した、本当の本音に、聖子さんは言ってくれたのだ。「大丈夫、あなたは出来る人だ」と。

「やろうとする人と、やろうとしない人、それだけですでに選ばれている」
「やろうとしている時点で、すごいことなんだ」
「こんなすごい人とこうして接しているのは嬉しいこと」

「『できない』と言うひとと『できる』と言う人が必ずいる。
 そのどちらの声を聞くのかは、自分次第なんだよね」と。


そう、真っ暗闇で、いろんな声を聞いて、たくさんの自分を呪う声を聞いて、もがき苦しんだ聖子さんのいう言葉だからこそ。ノイズだらけでなかなかいつも届かない私の気持ちの底まで、しんと届いた。私も同じように、呪いの言葉に踊らされているその中を、選ぶしかないのだと、受け取ることができた。

呪う言葉は、きっと聞こえなくなることはない。
そしてきっと背を押す祝福の言葉も同じ時に同じ場に、聞こえているはずなのだ。
そのどちらを聞くのか。選んでいるのは、確かに自分自身だ。そう、思えた。

私は、自分や、彼や、あの人の、呪いの声を聞いていくのか。
私は、聖子さんや、史子さんや、子どもや、学生の声を聞いていくのか。
答えは、明快だった。

そうだね、応援してくれる人の声を聞く。
そう、心から、言えた私に、聖子さんはうん、とさも普通にあいづちを打っていた。
3月の、風が強く寒かった日、江戸川橋の夜のファミレスでのことだ。

 

 

 

 

 

それから、私は、私に都合のよい言葉しか耳を傾けないようにした。
時々はそれでも、罵声が耳に聞こえてくる。
なんだか辛い時も、聖子さんのことを想うと、生きていける気がした。
同じ暗闇を知っているひとがいる。
その人は光に向かおうと試行錯誤している。
平然と立っているけれど、足は半ば飲みこまれている。
それでも生きていける。
だから私も大丈夫だ。
一人ではない。こんな暗闇を知っているひとは。

 

そう思うと、暗い中でもひとりぼっちで立っているひとは、私の中に結構いた。
聖子さんはもちろんそう。
史子さんもそう。
長野さんもそうかな。
組織にいても、どうしようもない「自分はこれをやらなければならない」という謎の内的な動機に突き動かされて、たいして得にもならない、つまんないことを、やせ我慢をしてやっている。
そんなひとが、私の中にいることは、私にとって、とても幸福なことだ。
そんなことを最近、思う。』

 

 

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ここからは蛇足なので削除しようと思うのですが、こんなこともあったなーと懐かしかったり、宅急便の出どころが一部わかった気がしたので、一時的にのっけておきます。。笑


「すごいよ千穂さん。そんなくそまじめな勉強会に20人も来るなんて」

「くそまじめ」で「人が20人来る」というのは、今まで私が頂いた中でも相当に嬉しい褒め言葉だった。
そう、私の取り柄は「くそまじめ」である。
そして私がそれを一生懸命くそまじめに発信していると、ちゃんと「くそまじめ」が集うのだ。
それを「千穂さんらしい、まじめないい人が来る場」という評価をしてくれる。
「楽しい」「学びたい」「もっとやりたい」
そんな声が私にはちゃんとまだ聞こえていて、後じさりしたり、落ち込みたがる、私の背中を支え続けてくれる。

 

そして幸いにしてそういうやり方から、たくさんのことを学ぶ。

一つ一つの言葉や行動を承認し続けることで「次のアクション」が自発的に芽を吹き出すこと。その小さな芽に水をやり肥料をやること。
私一人では何もできないから、そうして人の想いと行動を育てていくことで、私がいなくても動いていける、想いの集積としての運動体を作ること。
でも最初だけ、回し始める人が必要だと言うこと。
少しやってみたら、いろんなコツがわかってきた。

今日だけでどれくらい動いただろう。「やろうよ」という言葉がたくさんの人を引き付けられること。それを今日また改めて知った。
自分の発言で自分がやる気になるとか、周りの人を引き寄せるなんて、理解できないと思っていた。でも今日はすごくそれが理解できた。もう「やるよ」って言えばそれで成功するとさえ思った。
ずいぶん調子にのったものだ。
でも特に自分がそれまで水をやって世話をしてきたものであれば、きっと綺麗な花が咲く。そういうおかしな風が吹く。今はそう信じられるから、だから自分が種をまき水をやるのは、時間がかかるかもしれないけれど、これからも誠実にやっていこうと思う。

 

 


夢を見て、そしてそれはいずれはかなう。
いつかきっと私は学生と若年層と女性を対象に、キャリアを支援する何かを運営する。
聖子さんとも、何かを立ち上げられたらいい。
聖子さんの多彩な活動の一つが芽吹き、その運動体が些細なお金を産む日が、きっと来る。』